母から見る場面緘黙症

場面緘黙症を母が記しています。

私の気持ち

ずっとこのブログを非公開にしていた。

娘の場面緘黙症を誰かと共有したい、知ってほしいという気持ちと、娘のことを誰でも見られる状態にしておくことに抵抗を感じたりする気持ちもある。←いや、そんな沢山の人の目にとまることもないのだけれど。笑

 

本人はまだまだ認めたくない部分もあるのか、場面緘黙に関するイベントや集まりがあるみたいだよと話そうとしても、その話題を避けようとする。

なので、向き合うのは今じゃないんだと思う。

 

私はというと、娘の進学や就職が心配になっている。来年度は進学フェアや相談会に足を運んでみよう。

 

娘に合う進路は全日制なのか、定時制なのか、支援学校なのか、通信制なのか。悩みは尽きない毎日を送っている。

 

いつかは緘黙の子を持つ母のおしゃべり会を開きたい☺

中学校入学に当たって、話せないと困るんじゃないかという不安でいっぱいだった。

でも、だからといって話せるように訓練しよう❗とも思えなかった。本人が自分の状況を1番よくわかっているし、話せるのであればとっくに話しているだろうから。

 

今、娘は話すことはできないが、すごく楽しんでいる。入学式前は度々「こわい」と口にしていたのだが、今では1人で中学校まで通学している。小学校の時は集合場所まで私の手を掴んで一緒に行くくらいだったのに。

 

娘は日々成長している。

部活も自分で見学に行って選んで、勉強も努力でなんとかがんばっている。

ただ、話せないだけ。

 

中学校まではある意味守られた環境で過ごせるだろう。問題はきっとそれ以降。

娘は荒波に揉まれながらも、きっと何とか自分の道を作っていく。

私も覚悟を決めた。500人に1人とか言われているこの場面緘黙症を宝くじに当たったと思ってとことん付き合っていくんだ。娘が過ごしやすい社会になるように、私ができることをしていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

小学6年

先生と話したい。

卒業までに話したい。

 

娘からそんな言葉が出てきた。

 

それなら、お医者さんにアドバイスもらってみよう、と近くの小児科を受診。大学病院の紹介状を出してもらい、なんとか予約を取って初受診。

 

問診票に事細かに記入していったけれど、何の検査をするわけでもなかった。心理士さん等に繋がれるのかもしれないと思っていたがそうでもなかった。

 

細かいことはSSWと相談していってください、とのこと。少し食い下がって、何をどうすればいいのかわからず不安だと伝えると、それは医者の仕事ではないと言う事だった。

心理療法と何かできるとすれば不安を和らげる薬物療法、副作用で死にたくなっちゃうこともあるけどね。」

と、娘の前で話をされた。本人と薬は飲まないと相談済だったのだけど、その言い方は娘に恐怖を与えるだけだと残念に思った。

 

それでも3回くらいは通った。

2回目以降は数分話して次の予約について聞かれるだけだった。学校を休みたくない娘にとっても、私にとっても、通院が苦痛になっていった。

これが娘に取って最善なのかはわからないが、学校を楽しんでいる娘に取って、無理矢理病院に連れていくことよりも、今を楽しんでほしいと言う気持ちが強くなっていった。受診をすることをやめた。

 

そして、卒業までに話をすることはできなかった。呼名に返事することもできなかった。

それでも、立派に前へ出て卒業証書を受け取れた。6年間 、娘らしく小学校生活を過ごしてできることも増えた。素敵な先生方や友達に恵まれた。

私は娘を誇らしく思う。

小学5年

5年生ではちょっとしたトラブルがあった。

何も言えない、言わないって、何かあった時のターゲットになってしまいやすいのを実感した。

それでも、その時はそれで済んでしまったとしても何も言わない、感じてないわけがない。家では悔しさや疑問を話してくれたので、それをしっかり担任の先生に伝えた。

先生は誠実に対応してくださり、本当に有り難かった。私が全部伝えるのは過保護かなとも思ったが、娘の気持ちを伝えられるのは私しかいない、そんな気持ちだった。

 

それでも私が把握しているトラブルはこの時を含めて2回だけ。周りの先生や友達に恵まれてここまでやってきている。周りに恵まれているからこそ、困ったときの意思表示をどうやっていくかが、これからの課題だと思う。

 

6年生に向けて、学校や外で話したい、先生と話したい、娘からそんな言葉が聞けたので、娘やSSWの先生と相談して、受診することを決めた。

小学4年

3年生の終わりから急に新型コロナによる休校が始まった。

そのまま4年生になって、担任の先生もSSWの先生も異動になって、仕方がないのだけど、この仕組みどうにかならないのかなと、関わりがぶつきりになってしまうことに不安を覚えた。

私自身もちょっと疲れてしまったのと、休校で家にいることでむしろ落ち着いて過ごしている娘を見て、一旦SSWの先生への相談を休憩することにした。

 

休校が終わってからは放課後の教室を何度か借りたけれど、いまいち娘の「喋りたい❗」を感じることができないくてこちらもお休みすることにした。

 

担任の先生はとにかく褒めて下さる先生だった。手作りの賞状で褒めてくれる。当たり前のことをしていても褒めてくれるので、沢山書状が溜まったことで娘の自己肯定感も上がったし、クラスの中で役に立っているんだと自信に繋がったと思う。

 

また、マスクをつけなくてはいけないことで口元があまり見えない 、歌を心で歌うなど、制限は多かったが娘にとってはむしろ過ごしやすいことも多い1年だったのかもしれない。

小学3年

SSWさんに繋がり、面談をした。

受診も考えていることを話すと、何かきっかけがやってくるかもしれない。今すぐに病名を求めなくていいのではないかと落ち着いた。学校での様子もよくみてくれて娘とコミュニケーションを取ってくれた。

 

そんな中、3年生になった。初めての男の先生でちょっと緊張。進級した当初は先生からの連絡もなく、少し心配だったが、懇談会の時に直接話ができた。「お母さんはどう考えていますか?」とストレートに聞いてくれた。

今までは何をどう頼んでいいかわからず先生にお任せしていたところもあったのだが、この時にきちんと「無理はさせたくない。だけど、そればかりでいいのか迷っている。」ということを伝えられた。

 

何かできることはないかと考えてくれて、放課後の教室を貸してもらえるよう提案すると、すぐに動いてくれた。私と娘放課後の教室で、糸電話をしたり、絵を描いたり、時には校庭で鉄棒をして過ごした。先生もカードゲームを貸してくれたり、一緒にジェンガをしたこともあった。

母と2人きりでも学校で言葉を発することは無かったが、楽しそうな娘を見ると少しやきもきすることもあった。話す意思はあるのか?今の状態で困っていないのか?私の焦りだけではどうにもならない、娘の気持ちも大切だと実感した。

 

この頃、ネットで一生懸命場面緘黙の情報を探していた。そしてすがる思いで、講演会に参加してみた。専門的なアプローチも沢山あるのだろうが、1人ひとり症状も対処も違うこと、本人の話したい思いが強くなるタイミングを信じて待つこと、そんな言葉が心に残った。

結局私は何をしたらいいのか、明確なことは分からなかったのだが、場面緘黙症という研究がされていること、発信している人がいることに少し安心した。

小学2年

2年生に進級した。

 

進級して1週間くらい、毎日1時間ほど泣いていた時期があった。実は最初は漢字ノートを忘れたとかそんなことがきっかけだったらしいのだが(?)、「ママがいいの?お家がいいの?」と聞かれると頷いていたらしい。先生も困り果てただろうなと思

う。だって泣いてる理由がわからないのだから。ただ、娘も泣くことで精いっぱい何かを訴えていたのだろう。

 

この年の担任の先生はまめに連絡を下さり、私の意向を確認してくれた。運動会の時も、「こういう状況ですが、どうしますか?」と聞いて下さったので、無理はさせたくない、その場にいられたら充分ということ、迷惑をかけて申し訳ないことを伝えると、大丈夫ですよ〜できる範囲でやりましょうと言って下さり、私にも安心感を与えてくださった。放任するつもりではなく、学校でのことは先生にお任せします❗という気持ちで本当に信頼していた。

 

また、この年度に役員をしていたこともあり、学校へ行くたびに教室にいる娘をこっそり見ていた。役員は大変だったが、当時は先生や役員とのお酒の席もあり、親子共に名前も覚えてもらったし、そこから校長先生や教頭先生・担任の先生に背中を押してもらい、すぐにスクールソーシャルワーカーさんに繋げてもらった。 先生方の行動の素早さはうじうじしている私には神様のようだった。